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明らかとなった。
持続可能な開発は、持続可能な都市社会を前提として実現する。その持続性の根本に、自然との共生、人間の生命と都市社会の安全、人間の心の安心が可能な社会の構築という命題がある。本編は以上の考え方に基づいて、阪神大震災発生に先立つ平成6年9月に発表した「持続可能な関西都市圏づくり」文1)構想をここに再提示することとした。震災経験を踏まえた現段階の眼と意識でそれを批判願いたいと思う。また震災発生後の平成7年7月に発表した「都市ならびに大都市圏の形成条件」文2)についても再提示したい。以来すでに1年を経過しているので、世の識者の議論はより深まっていると思うが、論議の骨格を洗う意味においてご批判願いたい。

 

1. 持続可能な関西都市圏づくりの構想から

1−1. 地球環境関西フォーラムの取組み
平成2年6月、地球環境関西フォーラムが産学公の参加によって設立され、その中に地球環境100人委員会がつくられた。その成果はまず「アクションアログラム」(平成4年6月)として公表され、地球環境問題への積極的な取組みの行動指針が示された。これについての実践状況アンケートが平成6年に実施され、各企業・自治体の「大量生産・大量消費のライフスタイルの見直し」への取組みが活発で、「国際強力」への取組みも次第に広がっていることが報告されている。このフォーラムの「アクションプログラム」公表に次ぐ第2のステップは、企画委員会(委員長・矢吹萬寿大阪府立大学名誉教授)の下に、政策;国際環境;エネルギー・資源・環境;ライフスタイル;都市環境の5つの研究分科会と特別ワーキング・グループを設けて、各部面から「環境首都関西」の形成方策を検討提言することとして実行された。この活動成果は「環境首都関西を目指して」をタイトルとして、平成6年7月5日に記者発表された。小生は環境100人委員会委員のひとりとして、その都市環境分科会の主査を務め、「持続可能な関西都市圏づくり(Sustainable Kansai Urban Region Project)」をもって関西づくりのデザインとする提言を行った。本稿においてその成果の一端を私なりに披露し、それが21世紀関西ビジョンのひとつの柱となることを期待したい。
1−2. 基本理念について
すでに述べてきたように、これからの関西都市圏は、一方で関西圏に住み働く人々、そして関西に関係をもって往来し、あるいは情報交流を行っていく人々の生活活動のハードあるいはソフトの基地として、都市圏の空間的範囲を越えた地球的規模の脈絡の中で、人間社会のニーズに応えていくことが必要である。都市行政は市民のニーズに応えるものであるという従来の発想は、都市のローカルな活動基盤の維持向上にとって、今後も重要な意義を担うが、関西都市圏の存立の上ではその発想は地球的脈絡に向けて思い切った発想の転換を遂げていかなければならない。それが、経済的・社会的・文化的に十分世界の都市社会の要請に応えていける力を備えた関西圏の、果たすべき仕事であると言えよう。これを踏まえて、21世紀関西づくりのビジョンは、関西都市圏なるものを地球圏のひとつのモデルとして考え、このミニ地球モデルの持続性(Sustainability)を示す都市づくり(プロジェクト)をもってその答えとしようというのが、この提言の立脚点である。
1−3. 都市と自然の共生
この構想のコンセプトは三つの発想から成っている。第1は自然と都市(人間)との共生、第2は水系を生活の軸とする樹状のシステムを持つ都市構造の復権である。そして第3は全体システム(トータルシステム)と地域システム(ローカルシステム)のグランドネットワーク化である。
都市なるものは本来、ソドムとゴモラの説話にあるような自己充足的で悦楽的な性格を備えている。これに対して古代ギリシャの都市国家あるいは西欧中世の自治都市は、その自己充足性に人間社会の秩序をもって答えを出そうとした。それは結果として自然との一定の距離を、都市の構造につくり出すこととなった。古代ローマの貴族はその距離を埋めるために、都市の外に緑と水豊かなヴィラ(別荘)を持ち、自然の豊かな地方に保養地を設けた。他方東洋では、その都市づくりの思想は西欧社会とは違った多義性を持っている。東洋の都市における人間と自然の距離は、つかず離れずの微妙なバランスをもって成立する。特に日本の都市は、そのバランスを都市の文化として育てる独自性を持ってきた。それは江戸時代に最高度に達する。
西欧社会の中では、近代に至って英国の自然指向が都市と田園の融合を都市づくりのビジョンとして生み出した。その発想は、産業革命以来の近代都市に大きな影響を及ぼしてきた。わが国では関西、なかでも大阪が、西欧的な人工的都市装置集積型の都市づくりを、近世以降続けてきた。しかしその都市構造は、旧淀川・大阪湾の水系に融合した高環境を成していた。それは人々の都市生活においても文化的水準の高い共生環境順応型のものであったことが知られている。しかもこの都市は、市民社会の慰楽性に富んだ卓越した魅力を備えていた。上方文化は点もさることながら大坂の力による所も大きかったのである。しかもそれは武家や公家ではなく、町人大衆によって支えられた。
20世紀の中葉以来、世界の先進国都市、なかでもわれわれの都市は、一方で英国都市計画の発想をイデアとしながら、現実には都市の部分部分における経済社会的ウォンツを認める形で、都市の上地利用を再構成した。大阪ももちろんその例外ではなかった。そしてそれは急速に都市の郊外に及び、都市それぞれの拡大を続けて、例え

 

 

 

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